西部邁の経済思想入門

経済思想史に名を残す人々は、断じて「単なるエコノミスト」などではなかったーー アダム・スミスからケインズ、シュムペーター、そして新々自由主義、グローバリズムまで。従来の経済学を超えたところから、経済の真の姿を立ち上がらせる経済思想入門の決定版。 80年代後半に刊行され今なお光輝を放つ名著に、「新々自由主義」「グローバリズム」「IT革命」を加筆。今日の危機に満ちた資本主義的市場の未来を語るための1冊。【3刷】


追悼:西部邁先生
「思い出すことなど」坂井素思

 左右社の放送大学叢書『西部邁の経済思想入門』をお書きになった西部邁先生が逝去された。先生はかつて人生の十五年周期説を唱えていた。十五年ぴったりというわけではないのだが、一九三九年に生まれ多感に過ごした北海道時代の「幼少年期」、六〇年代安保の学生運動時代とそれ以後の「青年期」、横浜国大・東大などでの大学教師時代の「壮年期」、多作な評論家時代の「熟年期」、そして「老年期」とそれ以後とに分けられるだろう。その伝えでいうならば、わたしは先生の第三期目壮年期に公私ともにお世話になった。
 この第三期の大学教師時代に、西部先生は何を教え、わたしたち学生は何を学んだのだろう、と正面切って問われると何とも不確かなのだが、わたしが横浜国大での講義を受けたときには驚きから始まったことはたしかだ。ちょっと板書はするのだが、何も見ずにストレートに九〇分語り尽くす独特の講義スタイルが一年間続いたのだ。なぜ何も見ずに講義するのかと尋ねたことはないのだが、学生運動時代に吃音を直すために札幌の豊平川でビスマルクの演説集を読み上げた話は聞いたし、六〇年代安保での車上からの演説は、「泣きの西部」と称されていたことも友人から教えてもらった。近代経済学批判という新しい海に乗り出すには、それなりのスタイルが必要だったのだろう。
 学ぶ方からすれば、この講義スタイルには、講義以上の何か鬼気迫るものを感じていた。わたしたちは自らの未熟さを忘れて、夜を徹して没頭したのだった。このスタイルについて行くには、自分で問いを発し、反芻して考えるという構えが必要だったのだ。たぶんわたしが「スタイルを学んだ」などといえば、直ちに「スタイルだけを抜き出して学ぶことなどできない」という紙つぶてが飛んでくることは間違いないのだが、あえていうのであるが、講義の底に最後に残基されるのは内容ではなく、結局はスタイルだと思う。講義を超えゼミを通じて、生き方にまで影響を与えたスタイルがあった。先生もよく引用していた文芸批評家のチェスタトンの言葉「絵の本質は額縁にあり」に通ずるものがあるのだ。
 もうほとんどの方は知らないのだが、放送大学内にも西部先生の伝説が存在する。当時東大駒場から赴任された嘉治元郎先生が副学長だったので、西部先生が客員として授業科目『近代経済思想』を担当することになった。現在でも、ときどきこのストレートトーク・スタイルのアーカイブ放送をみることができる。冒頭に掲げた放送大学叢書の一冊はこのテキストをベースにして、左右社の小柳学氏が編集した書物だ。この授業科目は、四単位三十コマの長時間テレビ科目だった。ふつうは、この半分の十五コマのテレビ授業なので、一日に二コマを二週間おきくらいで収録する。テレビ科目では、シナリオ作成などもろもろの準備がかなりたいへんなのだ。ところが、西部先生は一週間でテキストを書き上げ、一日三コマ制作でほぼ十日間連続でテレビ収録を行ってしまったのである。十五コマの授業であっても、八日間かかってしまうのがふつうなのであり、また連続で作ってしまった方がいるとも聞いたことがないから、おそらく三十コマ十日間連続で制作という最短記録は未だ破られていないと思われる。収録の帰りには、近くに住んでいた作家の後藤明生氏宅へ立ち寄る余裕もあったのだ。
 またあるとき、西部先生がわたしの妻の勤め先に現れたので、わたしが論文をなかなか書けないと伝えたことがあったらしいのだ。それに対して、先生はいつもの笑顔で「サカイ君には考えていてもらうだけでいいと伝えてください。書くことは僕に任せて」とおっしゃったそうだ。著作スタイルだけはずっと残るだろうが、このような真面目と戯れの交じった生の声はもう発せられることはないのだ。(放送大学教授)

「経済学を勉強するのは経済学者に誑かされないようになるためだ」(J・ロビンソン)。そういう冷静な学習に本書が寄与するところがあれば、と願わずにはおれない。
(「はじめに」より)


[目次]
はじめに
第一章 経済思想とは何か
第二章 前近代の経済思想
第三章 重商主義
第四章 重農主義
第五章 古典派の成立
第六章 古典派の展開
第七章 古典派の変形
第八章 歴史主義
第九章 新古典派の成立
第十章 新古典派の発展(1)
第十一章 新古典派の発展(2)
第十ニ章 制度主義
第十三章 ケインズ派の予兆
第十四章 ケインズ派の成立
第十五章 ケインズ派の変遷(1)
第十六章 ケインズ派の変遷(2)
第十七章 新古典派総合
第十八章 成長、技術および発展の経済思想
第十九章 貨幣の経済思想
第二十章 期待形成
第二十一章 厚生経済学
第二十ニ章 公共経済学
第二十三章 民主主義の経済思想
第二十四章 自由主義の経済思想(1)
第二十五章 自由主義の経済思想(2)
第二十六章 国家の経済思想(1)
第二十七章 国家の経済思想(2)
第二十八章 グローバリズム
第二十九章 IT革命という社会病理
第三十章 総合の経済思想
参考文献



西部邁(にしべ・すすむ)=経済学。東京大学教授などを経て、雑誌「表現者」顧問。評論家。
1983年『経済倫理学序説』で吉野作造賞、84年『気まぐれな戯れ』でサントリー学芸賞、92年評論活動により正論大賞、2010年『サンチョ・キホーテの旅』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『ソシオ・エコノミクス』『大衆への反逆』『知性の構造』『友情』『ケインズ』など著書多数。
型番 978-4-903500-77-5
販売価格
1,870円(税170円)
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